「あぁ、あの人は大成しなかったなぁ。残念だなぁ」
と思うことありませんか?私も知り合いにそう思われているような気がしますが(笑)、誠に恐縮ながら、私にとってそーゆー人は辻元清美さんです。政治家の。
若い頃、1990年前後、政治家になる前の辻元清美さんを遠くから拝見したことがあります。
当時、辻元さんも若かったわけですが、「ピースボート」の創立者の一人としてすでに有名人でした。
ピースボートについては、ま、WIKIPEDIA読んでいただくとして→
ある抗議もしくは不満もしくは不条理を、教条的ではなく現実に落とし込んで解決を探るもしくは参加した人の理解を深めるようなビジネスというか運動というか枠組みというかで、こーれは素晴らしい、と。当時の私と同じような若い世代(辻元さんが5年先輩ですが)が、現実的でありながら、独創的でファンタジーさえ感じる素晴らしいモノを創り出したんだなぁ、と、全く関係ないながら思っていました。
なんでかっつーと、私、左翼の吹きだまりみたいだ大学にいたんですが、そうすると色んな左翼とか進歩系とかの先生とか生徒ばっかりで、教条的な空理空論に満ちてるんです。すごく簡単にご説明すると、「すべては自民党が悪い」みたいな話。
「んなわけねーだろ」
と、私なんか思ってたわけです。だって、日本国民の半数以上は自民党に投票している、あるいは自民党が政権を握ることを許しているわけですから。一方、左派・進歩系の当時の社会党や共産党は、昭和20年代〜40年代は社会的混乱から多くの支持を得ましたが、その後、空理空論と内部抗争ばかり繰り返して、国民の支持を失いつつあったわけです。
1990年頃、参議院選挙で社会党の「マドンナブーム」ってのがあって世間は盛り上がったんですが、今考えると、マドンナブームの次に行われた衆議院選挙でさえ社会党の獲得議席数は140しかなく、自民党に安定多数286議席を許しているわけです。
そんな中に「ピースボート」という旅行会社というか運動が出てきたので、なんつーかな、左翼・進歩系の集団における若く正しい一条の光が差した、この人がいつか左翼・進歩系の集団のリーダーになれば色々と正しい方向に変わるんだろうな、みたいに思ってました。
で、ある日、当時本郷三丁目でアルバイトしてたんですが、お茶の水にある総評会館、いまは連合会館っていうらしいですが、そこで大学のゼミの先生(針生一郎さん)が、司会かなんかやってシンポジウムやるっていう情報を知りまして、行ってみました。本郷三丁目からお茶の水まで歩いていけるので。
たしか、針生さんが政治学者の藤田省三先生に太平洋戦争の話かなんかをうかがいながら進んでいく会で、最後の方で質疑応答になり、質問が出ないので針生さんがうしろの方に立っている辻元さんを指名し、
「若い世代の代表として何かひとこと」
みたいな感じになりました。すると辻元さんが、内容は詳しく覚えていないんですが、とても論理的な、現実的な話を展開されました。教条的ではなく。それを聞いて、やっぱりこの人は左翼・進歩系の集団における若く正しい一条の光であって、いつか左翼・進歩系の集団のリーダーになれば色々正しい方向に変わるんだろうな、と思いました。
しかし、そうはなりませんでしたね。残念ながら。みなさん、ご存じの通り。
辻元さんも色々重要な活動はされてるみたいですが、一般の印象としては「国会の質問でうるさく追求する人」みたいな感じに。なんで、そーなっちゃったんですかねぇ。最初の選挙に社会党から出たのが間違いだったんじゃないですかねぇ。そしたら土井たか子氏及び同氏秘書による誤ったサジェスチョンを受けて「秘書給与流用事件」なんていう、公人として致命的な間違いを起こすこともなかったような気もしますし。
辻元清美さんを見るたびに、すごく残念に思います。心から。恐縮ながら。