80歳を超えた葛飾北斎と娘のお栄(葛飾応為)の作品〜信州小布施・北斎館

葛飾北斎

葛飾北斎という人は、非常に長命で、90歳まで生きたと言われています。江戸時代の人なのに。生年は推測だそうですが。

北斎というのは、ほんとに世界的に有名で尊敬されている画家で、海外の色んな美術オークションで北斎の浮世絵や複製画がどんどん出品されて、どんどん落札されるほど人気があります。

この方、80歳を超えてなお新しい境地を開拓し、自身の芸術を高めていったんですね。

偉いもんです。

ということを、情報として知っており、本では見たことあったんですが、実際に80歳を超えた年齢で制作した作品を見たことがありませんでした。

80歳を超えた北斎の作品をジックリと見られる北斎館

それをジックリ見られるのが、信州小布施・北斎館です。

なんで小布施かと言いますと、信州小布施に高井鴻山という豪商がいたそうで、この方、豪商であると同時に画家、書家、思想家、文人でもあったそうですが、この人が北斎を招いたんだそうです。

北斎が初めて小布施を訪れたのは、83歳の時だそうです(゚Д゚)江戸から小布施まで約240kmを歩いたわけですから、ビックリしますね。

だけでなく、高井鴻山が小布施にアトリエを作ってくれたそうで、そのため以後何回も小布施を訪れて制作に励んだんだそうです。

その際に制作された肉筆画が展示されているのが、信州小布施・北斎館です。

ちなみに、高井鴻山という方、実はビジネスが苦手で、激動の世をうまく渡れず、明治維新後は破産したり何だりで不遇だったようですが、

「北斎を招いて制作させた」

ということだけで、故郷に偉大なもの、あるいは、大いなる精神、みたいなものを残しましたね。

偉いもんです。

北斎の肉筆画

信州小布施で、北斎は、肉筆画をどんどん描いたようです。それが小布施に残って、展示されています。

北斎と言えば木版画が有名ですが、それとは違う表現を残したかったようです。

木版画は、彫りや摺りを分業して多くの数を作るので、どうしてもディテール(細部)が多少大ざっぱになります。

それはそれで美しいのですが、木版画では味わえない肉筆画の北斎がありました。

上手いです。すごく上手いです。

ただ、先述した「80歳を超えてなお新しい境地を開拓し」というのはどうなんだろうなぁ、という感じがしました。

なんか、上手すぎる絵があるんです。明らかにタッチが違う、というか、根本的に技法が異なっている、というか。

で、色々読んでみると、どうも晩年の作品には、三女のお栄が書いたもの、下書きしたもの、共作したものがかなり含まれているのではないか、と。

葛飾応為という実力のある評価の高い画家

三女のお栄は、父の盛名に隠れていますが、葛飾応為という実力のある評価の高い画家です。

また、西洋画法への関心が強く、誇張した明暗法と細密描写に優れていたそうなので、信州小布施・北斎館に展示されていた晩年の北斎の作品には、明らかにお栄の筆だと思われるものがあります。

ということで、多少割り引いて考える必要がありますが、ただ確かに肉筆画の北斎も素晴らしかったです。