おまえが生きている間に触れた一番素晴らしいものをあげろ
天国に着いた時、「おまえが生きている間に触れた一番素晴らしいものをあげろ」と神様に問われたら、
「1965年前後のジュリー・アンドリュースの歌声」
と答えます。
子供の頃に、映画『メリー・ポピンズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』におけるジュリー・アンドリュースの歌声にたいへん感動しまして、
「歌声というのは、こんなに誰かの心に響く、素晴らしいものなんだ」
ということを知りました。
今でも、当時のジュリー・アンドリュースの歌声を聞くと、ついウルウルしちゃいます。50代男性です。
さて、ジュリー・アンドリュース、日本でも昔から人気。
が、どーしても『メリー・ポピンズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』のイメージのせいか、さらに、その昔、童話作家としてプチブレイクしたせいか、例えばコンサートやTV特番では「キレイでやさしいおねいさん」的なプログラムになりがち。日本では。昔々、昭和55年に新宿の東京厚生年金会館で来日コンサートも見たんですが、やっぱりそんな感じでした。
でもそれは、ジュリー・アンドリュースの一面なんだということを知ったのは、『ジュリー・アンドリュース・イン・コンサート』というDVDを見てから。
↑このDVDは、1989年にロサンゼルスで行われたライブを収録したもので、エンターテナーとしてのジュリー・アンドリュースを堪能できます。
つまり、大成功したハリウッドスターとしてではなく、
子供の頃から舞台で活躍してきた、筋金入りのボードビリアン
という意味です。
筋金入りのボードビリアン
ジュリー・アンドリュースが幼かった頃、母親が再婚した相手がボードビリアンで、彼は乱暴で、アルコール依存症で、貧しかったそうですが、ジュリーにとって、あるいは我々ファンにとって幸いなことに、義理の娘に非凡な才能があることを見抜くことはできたそうです。義理の娘に、ちゃんとした先生をつけて、アカデミックなレッスンを受けさせました。
その後、両親と一緒に舞台に上がるようになり、ロンドンで脚光を浴びます。
さて、最近は、ほんとに色んな情報を見ることができて、ありがたくなっちゃうんですが、ジュリー・アンドリュースがロンドンで脚光を浴びていた子供の頃の映像や音源も、Youtubeに色々アップされています。例えば、12歳の頃の音源↓
こっちは13歳の頃の映像↓1948年に国王ジョージ6世とエリザベス女王(クイーンマザー)の前で英国国歌を歌った様子。すぐ後ろに立っているのはダニー・ケイだそうで。
上手いねー(°0°)
その後、19歳の頃、ブロードウェイに進出します。
最初の作品が『ボーイフレンド』、次の作品が、史上名高い『マイ・フェア・レディ』です。
ブロードウェイの『マイ・フェア・レディ』
この『マイ・フェア・レディ』というミュージカルは、ジュリー・アンドリュースのために作られたような傑作で、『マイ・フェア・レディ』もジュリー・アンドリュースという主演女優を得ることで最上級の作品になったんだなー
と、最近知りました。
というのは、ほんとに最近は色んな情報があって、ありがたくなっちゃうんですが、itunesやYoutubeで、ジュリー・アンドリュースが『マイ・フェア・レディ』の舞台やってる頃に発売した歌唱も聴けるわけです。
例えば↓は、1958(昭和33)年、ブロードウェイで『マイ・フェア・レディ』が幕を開けて大当たりをとった2年後に、ジュリー・アンドリュースが『マイ・フェア・レディ』の名曲「踊り明かそう」を歌ってる映像です。
■「踊りあかそう」1958年↓
『マイ・フェア・レディ』というのは、簡単に言うと
「下町のがさつな娘を、舞踏会でも通用するレディに仕立てあげる」
という物語ですね。
で、ジュリー・アンドリュースは、その「下町のがさつな娘」と「舞踏会でも通用するレディ」を、とても自然に、高いクオリティで歌い分けることができるわけです。
重要なとこなんで、もう一度記します。
ジュリー・アンドリュースは、「下町のがさつな娘」と「舞踏会でも通用するレディ」を、とても自然に、高いクオリティで歌い分けることができる
わけです。
例えば↓の動画、リハーサルの様子ですが、『マイ・フェア・レディ』の中でヒギンズ教授の厳しい訓練に腹をたてて「今に見てろ」っていう曲を歌ってる場面ですが、ロンドンの下町娘感満載ですね。それを、しぐさや表情や言葉ではなく、歌で表現できるわけです。
これと先ほどの「踊りあかそう」を比べると、明らかに歌い方や声の出し方を変えていますよね。
■「踊りあかそう」1958年↓
それはつまり、ボードビルとクラシックという、子供の頃から鍛錬を重ねてきたジュリー・アンドリュースの大きなバックボーンを、ブレンドしながら使い分けているわけです。
そのバックボーンを自在にブレンドさせて表現できることが、彼女の歌の特徴であり、個性です。
上述の「踊りあかそう」を聞いてみると、もう少しキーを低くした方がジュリー・アンドリュース本来の持ち味が出るわけですが、あえてキーを少し高めにしてファルセットを多めにし、ソプラノ歌手感というか、高貴な感じというか、舞踏会のレディ感というか、そーゆー感じを際立たせているわけです。
というわけで、『マイ・フェア・レディ』というミュージカルは、下町娘と舞踏会のレディを自然に高度に歌い分けられるジュリー・アンドリュースのために作られたような傑作で、『マイ・フェア・レディ』もジュリー・アンドリュースという主演女優、というか、優れた女優でありながら、さらに優れた歌手でもあるという、類いまれな存在を得ることで最上級の作品になったんだなー、と。
映画『マイ・フェア・レディ』に足りないもの
が、非常に残念なことに、『マイ・フェア・レディ』の映画化にあたって、ジュリー・アンドリュースはキャスティングされませんでした。
Wikipediaによれば、『マイ・フェア・レディ』の映画化権が550万ドル(約6.8億円)という当時としては非常に高額だったため、当時まだ映画女優としてび実績が全くなかったジュリー・アンドリュースよりも、「必ず当たる主役」としてオードリー・ヘップバーンが選ばれたんだそうです。
unknown (Warner Bros.) – http://acertaincinema.com/media-tags/harry-stradling/, パブリック・ドメイン, リンクによる
わたしはオードリー・ヘップバーンも大好きですし、550万ドルのプレッシャーもよ〜くわかりますが、それにしてもやはりジュリー・アンドリュースを選んで欲しかったですね〜。チャレンジして欲しかったです。
そうすれば、きっと『マイ・フェア・レディ』は映画史上に残る傑作になったのではないか、と。
悪い映画ではないんです。良い映画ではあるんですが、『サウンド・オブ・ミュージック』や『メリー・ポピンズ』ほど心にきません。
それはやはり、ジュリー・アンドリュースの存在ですね。
圧倒的で、繊細で、暖かくて、透き通っている彼女の歌の力です。
有名な話ですが、『マイ・フェア・レディ』に選ばれなかったことによってウォルト・ディズニー自身から『メリー・ポピンズ』への主演を請われて、そこからハリウッド随一のスター街道を駆け上がっていくわけなんで、それはそれでハッピーエンドなわけですが、やっぱり後世から考えると、ジュリー・アンドリュースも映画版『マイ・フェア・レディ』やれたら良かったですね。彼女自身も望んでいたそうですが。
そうすれば、エンターテナーとしての全体像と本当の実力をフィルムに残すことができ、世界中の人々、そして後世の人々にそれを聴かせることができ、評価が一段と高まっていたように思います。
そして、「キレイでやさしいおねいさん」「理想の家庭教師」的なイメージもまとわなくて済んだのではないか、と。
聴き比べ
では聴き比べてみましょう。オードリー・ヘップバーン版(歌はマーニ・ニクソンによる吹き替え)とジュリー・アンドリュース版です。
■映画版「今に見てろ」
■ジュリー・アンドリュース版「今に見てろ」
■映画版「踊りあかそう」
■ジュリー・アンドリュース版「踊りあかそう」(エド・サリバンショー)
違いますねー。なんか、こー、格が違いますね。
オードリー・ヘップバーンの歌の吹き替えを行ったマーニ・ニクソンという人は、『王様と私』や『ウエスト・サイト物語』でも主演女優の歌の吹き替えを行った優れた歌手です。
ただ、『マイ・フェア・レディ』のために生まれてきたような歌手ジュリー・アンドリュースと聞き比べると、どーしても1枚も2枚も、格が違っちゃいますね。
そーいえば『サウンド・オブ・ミュージック』で、素晴らしい「エーデルワイス」を聴かせてくれたクリフトファー・プラマーですが、
20th Century Fox – eBay, パブリック・ドメイン, リンクによる
実は歌は吹き替えだったんですね。
クリフトファー・プラマー自身、俳優になる前はピアニストになるために勉強していて、俳優になった後にはレコードを何枚か出しているある種プロの歌手であるにも関わらず、
「ジュリー・アンドリュースの歌声と釣り合いが取れない」
ということで、ビル・リーという歌手&俳優が吹き替えたそうです。
つまり、ジュリー・アンドリュースの歌声は、それだけスゴかったわけです。
そこをね、映画『マイ・フェア・レディ』の制作側は、ぜひくみ取ってほしかった(T-T)