1990年代、私はマスコミの片隅にいました。
今はなき新日本文学会でアルバイトをしたり、調布画廊が出している美術雑誌を本屋に売って歩いたり、中国巨龍新聞という会社で働いたり。
痛切にわかった事は、
「マスコミ、つまり大量生産・大量伝達のコミュニケーションの枠組みの中では、それらの出版物はビジネスとして成立しないのだ」
という事。
文学会の季刊本も画廊の雑誌も中国巨龍新聞も、あまり売れないので、トーハンや日販のような出版取次大手が、なかなか扱ってくれない。扱ってくれる場合もあるが、売れない=返品が多くなると次第に扱ってくれなくなる。すると書店等の販売先も事務が煩雑になるので、扱ってくれなくなります。
結果どんどん売れなくなります。
なぜ売れないのかというと、その情報を欲している人が少ないからですが、そうすると、論理的には、マスコミ(大量生産・大量伝達)において、書店には対象の多い内容のものしかなくなってしまうでしょうね。
つまり、健康とかファッションとか料理とか、そーゆーわかりやすい情報だけが書店の本棚を占拠すると、それで文化は深まるのだろうか、社会の多様性は確保できるのだろうか、という気がしました。
1990年代の話ですが。
さて『戦後美術盛衰史』ですが、これは類書のない名著です。
敗戦時20歳だった著者が、新進気鋭の美術評論家として頭角を表し、長年戦後美術の第一線で伴走者・アジテーター・プロデューサーとして関わってきた様子と、日本の戦後現代美術の動きのクロニクル(編年史)です。
なんてーますか、公式の歴史や教科書には載ることのない息吹みたいなものがね、昭和20年代〜昭和30年代のアートの雰囲気みたいなものが、ビンビン伝わってくるんですよ。いろんな若者がいて、さまざまな大人がいて、楽しんだり、いきどおったり、揉めたり、和解したりしながら、さまざまなアートが生まれては時代に消えていったサマが熱量を持って記されていります。
でも、この名著が、絶版となっているため気軽に読むことができません。
ところで著者は、私の大学時代の恩師です。
2010年に亡くなったんですが、その半年前くらいまで大学時代のゼミ仲間と共に、2〜3ヶ月に1回ご自宅に伺って自主的なゼミを行っていました。ある時、針生先生が金沢のあっちの方というか、福井のあっちの方というかの「金津創作の森」という美術館の館長になりたてのころ、
「「金津創作の森」で働かない?」
と誘われたことがありました。定職についてるのか、ついてないのかわかんない、どーも何やってるのかわかんない若者(わたし)が目の前にいるので、ちょうどいいから誘ってみたんだと思います。遠すぎてお断りしたんですが、一度金沢のあっちの方で働いてみるのも悪くなかったかなぁと、いまでは思います。懐かしい。
別のある日、
「先生の『戦後美術盛衰史』は名著なのに、なんで絶版なんすか?」
とざっくばらんに聞いてみると
「いやぁ、売れないからねぇ」
なんて言って苦笑いされてました。。
それを聞いてビックリしました。
「あの名著でさえ、そんなに売れないのか」
と。
名著であっても、業界の重鎮(著者は業界では有名人で、晩年は美術評論家連盟会長)の代表作であっても、マスコミュニケーションの枠組みの中では価値がなく、重版に値しないと見なされてしまうのだ。
しかし、それは正しいのでしょうか?あるべき世界の姿なんでしょうか?
そこで、
「『戦後美術盛衰史』を講演にしていただいて、その様子をDVDにしてネットで私に売らせてくれませんか?」
と、提案しようか、すごく悩みました。
DVDにして皆さんに届けることによって、マスコミュニケーションのいびつさを補正できると考えたからですが、大学時代の恩師とお金のやりとりをするのもどうかと感じて結局提案しませんでした。
が、今では後悔しています。
私という存在が行うべきだった事をしそこなったような気がしています。