「なぜヒトラーとナチスは民主的に政権を取れたのか?」という事が、なぜか時々とても気になる時がある。

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ナチスは、暴力によって政権を奪取したわけではない。

何回もの自由な選挙を通じて民主的に比較第一党になり、比較第2党だった共産党を陰謀で解散に追い込んだのち、議会の3分の2の賛成をもって憲法を停止して独裁政権を作った。

時々気になるのは、この「自由な選挙を通じて」という所。

当時のドイツの人々は、ヒトラーやナチスが何を言っているのか、何を言ってきたのか、おおよそ知っていた。

ナチスは、政権を取る約15年前から活動を開始し、様々な言論や威力活動、時には暴力革命を試みたことを、知っていたはずなのだ。

にも関わらず、当時のドイツの人々は、暴力による強制ではなく、自発的な意思によって、民主的な選挙によって、ナチスを第一党に押し上げてしまった。

一つの理解は、エインリッヒ・フロムの古典的名著『自由からの逃走』で得ることができた。

フロムは、ユダヤ系ドイツ人の哲学者で、ナチスの台頭と共に米国へ亡命した経歴を持つ。そのため『自由からの逃走』における思惟はいっそう重い。

『自由からの逃走』におけるフロムの問いかけは、

「なぜドイツ人は、ナチスを選んでしまったのか。

ワイマール共和国あるいはワイマール憲法という、とても先進的で民主的な政治形態を持っていたのに」

という事である。

そして「人々は自由から逃走したのだ」という結論にいたる。

つまり、人は、あるものから自由になったとしても、それがすなわち本当の自由を得たという事ではない。

また、あるものから自由になったことが、すなわち別の、新しい価値や意味の獲得を意味するわけでもないのだ、と。

したがって、自由になった時に待っているのは、自由になる前に持っていた価値や意味から離れ、しかも新しい価値や意味も獲得していない、という孤独である。

そして多くの人は、孤独に耐えられない。

本当の自由を得るために苦闘するよりも、価値や意味を身に付けるために努力するよりも、自由の孤独を手っ取り早く癒すために、無価値や無意味な自分という絶望感を手っ取り早く忘れるために、人は自由から逃走して何かの権威や集団に逃げ込んでしまうのだ、という趣旨の論考だった。

「あー、なるほどなぁ」

とナチスへの疑問がある種氷解した。

考えてみれば、わたしたちのまわりにも、あらかじめ自由から逃走している人たちが多いような気がする。

人々は、何らかの意味付けを、何らかの示唆を求めているんだなー。

そこにナチスが上手く入っていったんだなー、と。