「銀座の恋の物語」の歌手・牧村旬子の話

2018年10月10日

「銀座の恋の物語」ってのは、ほんとに名曲ですねぇ。曲が良くって、編曲が良くって、歌手が良い、と。歴史的な大ヒット曲なので、何度も聞いているうちについ忘れがちですが。

 

特に石原裕次郎とデュエットしている牧村旬子が、とっても上手いです。当時は著名だったのかもしれませんが、高度成長期以降生まれの世代にはこの曲以外では、ほとんど知られていない歌手なので、ご案内しましょう。

牧村旬子は、当時、デビュー一年目の18歳です。石原裕次郎と同じテイチクレコードに所属していて、ジャズ系のレコードを出していました。こーゆー人をパッと連れてこられるのが、当時の音楽状況の豊かさですね。

 

「銀座の恋の物語」は、ヒット曲を作ろうとかそーゆー流れではなく、映画の主題歌として唐突に依頼があったので、えらい突貫工事で作り上げた曲だそうです。

参考資料『石原裕次郎 過ぎ去りし日々』中島賢治

 

昭和35年の11月に、日活からテイチクレコードに「正月映画の主題歌と挿入歌を作ってくれ」という依頼がありました。映画は『街から街へのつむじ風』です。

 

この映画、VHSでは発売されたんですがDVDにはなってないので、現在ではなかなか見られなかったんですが、来年あたりにやっと見られます。朝日新聞が『石原裕次郎シアター DVDコレクション』というのを発売してまして、これが2018年10月3日現在、第32号まで出版されてます。このシリーズの第43号として出版されるそうなので、あと半年くらいですかね。とりあえず、当該シリーズの『銀座の恋の物語』をご紹介しておきましょう↓

 

さて、テイチク側で計算したところ、12月1日にはレコーディングを済ませておかないと編集やプレスやレコード店への搬入が間に合わないので、1週間で曲を作らなければならないというメチャクチャなスケジュールが判明しました。

 

しかも、翌12月2日は石原裕次郎と北原三枝の世紀の結婚式です。石原裕次郎は結婚式前夜まで仕事してたわけです。大スターも大変ですね。ストレスが半端ないでしょうね。酒を飲み過ぎて、若くして病気になっちゃったのもわかる気がします(T_T)

 

作曲の鏑木創は、クラシック出身で映画の音楽監督として活躍した人です。日活側の要請で、デュエットにしなければいけないと決まっていたので、当時のデュエットの大ヒット曲「東京ナイトクラブ」みたいなのを作ってくれ、とテイチクは依頼したんですが、流行歌に疎く「東京ナイトクラブ」を知らなかった鏑木は、テイチクの担当ディレクターだった中島賢治に歌わせて一聴し「そういう感じの歌を作ればいいのか」ということで出来上がったんだそうです。

 

で、レコーディングする時間も色々制約があったので、日活の撮影所に機材もバンドも入れて一発録りでレコーディングしたんだそうです。一種のスタジオ・ライブ的なものになったんですが、あぁ、それで何となく当時の石原裕次郎の録音の他の曲と違う空気感があるのかと納得しました。エコーも効いてますし。

 

当日の石原裕次郎は、映画の仕事があり、翌日は結婚式で、しかも真夜中に録音しているので、何となく元気のない歌唱です。そりゃ、しょーがないですよね。

 

そこを抜群に補っているのが、牧村旬子です。大抜擢された、ほんの18歳です。見事です。

 

牧村旬子は、7歳から米軍キャンプ回りの歌手として活躍し、14〜15歳でクラブやキャバレーで歌い始め、すぐにテイチクにスカウトされて17歳でデビューしました。ご本人のホームページがありまして、それを読むと、なかなかお転婆なお嬢さんだったんだな、と推察されます。

 

牧村旬子公式ホームページ→

 

ホームページの文章には、当時はね、男尊女卑がひどかったでしょうから、女性歌手としての実力を、実力通りに認められなかった苛立ちみたいなものが、そこかしこに顔を覗かせてます。可哀想ですけど、ただ牧村旬子が10年後に生まれてたら、女性の権利はもっと確立していたでしょうが、歌手はもう必要とされなくなっていった、つまりヒット歌手は必要とされましたが、普通の社会の中で歌手はどんどん必要とされなくなっていった時代ですから、どっちがいいんですかね。

 

で、やっぱね、実力あります。同じように若くして米軍キャンプ回りをしていた弘田三枝子にも伊東ゆかりにも松尾和子にも同じようなことを感じますが、現場で鍛えた力っていうか、そーゆー実力があります。学校じゃ教えてくれない、趣味で歌ってるんじゃない、若いのに年季が入ったプロとしての味わいがあります。

 

まずね、出だしの声がいいです。「銀座の恋の物語」牧村旬子の話ですが。地の声じゃなくて、狙って作った声で出だしを印象づけてます。

 

しかも、「ここ(←)ろの」「そこ(←)まで」の(←)の短いとこにビブラートぶっ込んできてまして、非常に曲調に合った、キャッチーな特徴を持たせています。

 

さらに、1番、2番、3番のAメロで歌い方変えてるんですね。歌詞の物語に沿うように。

 

そして、サビでも歌い方変えてるんですね。

 

ほんとに見事です。

 

さらに驚くのは、ご本人のホームページ拝読すると、「銀座の恋の物語」の録音は初見(楽譜を渡されてその場で演奏する)でやったんだそうです(゚ロ゚)

 

東京メトロ(発車メロディー)​〜銀座の恋の物語〜

 

いやー、ほんとすげーなー(゚ロ゚)

 

つーことは、石原裕次郎の歌唱が元気なさげなのは、翌日が結婚式で、しかも真夜中に録音しているせいではなく、初見のせいだったんだな。

 

石原裕次郎は歌を事前に練習せず、現場でメロディを覚えながら何回も試行錯誤しながら歌って歌って歌唱を完成させて、終わったらすぐ忘れる、というスタイルだったそうなので、「銀座の恋の物語」の場合はメロディを覚えるのがやっとで、歌唱を完成させてる時間がなく、そのため元気なさげな歌になってしまったんですね。きっとね。

 

で、その牧村旬子が、上記ホームページで、

 

「映画『街から街へのつむじ風』のラストシーンの歌唱がベストテイクだ」

 

とおっしゃってるので、ぜひ聴いてみたいものです。なお、そのシーンに出演しているのは南寿美子という女優さんだそうで、口パクで牧村旬子の歌が収録されているそうです。

 

そんな牧村旬子、昭和40年代はセクシー歌手として活躍されたんだそうで、その頃録音されたカヴァー曲をネットで配信されてます。当時カーステレオがブームだったんだそうで、カーステレオ8トラック・カートリッジテープ用に録音したものから選んでいるそうです。


 

「セクシー・ソング」っていう縛りはありますが、歌唱のアイデアに溢れてます。素晴らしいです。

 

いやー、ほんと、昭和20年代30年代の日本で頭角をあらわした歌手ってのは上手いですよねぇ。日本の歴上、もっとも歌手が必要とされてた時代に勝ち残った人々ですからねぇ。当時の音楽状況は豊かで、現在から聴いても楽しいです。

 

音楽

Posted by hirooka