変貌するミューズ 歌手・松尾和子の伝記その9/ムード歌謡の意味と吉田正の偉大さ

2018年5月29日

松尾和子の歌手としての伝記を記しています。最初から読む方はこちら→

 

さて、松尾和子は、1959年=昭和34年に「グッド・ナイト」と「東京ナイト・クラブ」の大ヒットでデビューしました。とても幸運で華々しいスタートで、一気にスターの階段を駆け上がります。

この両曲、特に「東京ナイト・クラブ」は男女で歌うデュエットソングの定番としてテレビでもラジオでも、そして後年出現したカラオケでも大人気だったため、松尾和子自身、何千回も何万回も歌ったことでしょう。

 

そうすると、どうしても様式化します。当初あった細かい味わいが失われて、大雑把になるんですね。どーしても。しょーがないんです。

 

ただ、ここんとこムード歌謡にとって重要なので記しますが、時代を経るとムード歌謡自体が様式化してしまいます。どうしても。ムーディー勝山がパロディにしたように。

で、後の世代にとっては、ちょっとした笑いの対象になっちゃったわけです。ですから、わたしのような後の世代、高度成長期生まれの人間がムード歌謡好きだと言ってると「なんで?」って不思議がられることが多いんです。

 

ムード歌謡というのは、戦前情報が統制されていてあまり聴く事ができなかった世界の音楽が、戦後一斉に入ってきて、それらの雑多な音楽を統合して日本化したものです。だから面白いんです。

 

吉田正は、メロディー・メーカーとして偉大です。もちろん。

 

しかし、それにも増して、戦後日本に流入した雑多な音楽を統合して日本化したムード歌謡を作り上げたところこそ、他に類を見ない偉大さがあります。

 

その吉田正の本当の偉大さを味わうには、昭和30年代前半の録音を聴く必要があります。そこに、吉田正が目指して作り上げた本来の表現があるからです。

 

「グッド・ナイト」と「東京ナイト・クラブ」も、後年に録音されたものではなく、松尾和子のデビュー時期に近い録音を聴くべきです。

 

なんですが、それがなーかなか難しいですね。昔はヒットした曲は何回も吹き込んでレコードにしましたから、編曲も様式化しちゃったものが多く流通するし、テレビの隆盛は松尾和子のデビュー以後ですから、録画されているものはほぼ様式化されたものだし。

 

昭和30年代の松尾和子の歌唱を堪能するためには「松尾和子 CD-BOX」が良いです。5枚組の全曲集なので、ちょっと高いですが、古い録音が多いので、良いですよ。

 

上記5枚組の1枚目の1曲目2曲目「グッド・ナイト」「東京ナイト・クラブ」のが、松尾和子デビュー時期の録音です。それが、吉田正と吉田学校の教え子たちがタッグを組んで表現した「グッド・ナイト」と「東京ナイト・クラブ」の本来の姿です。吉田正は昭和20年代に編曲の勉強をしていたそうなので、編曲もやっているのではないか、と。

 

「グッド・ナイト」は、ゆっくりした曲でマヒナスターズのコーラスとスチールギターを存分に活かしているんですが、隠し味にシンセサイザーを使ってます。洒落てます。シンセがいつから使われたのかわかりませんが、すごく早い時期ですね。吉田正の著作『生命ある限り』によれば「クラビオン」という当時日本に一台か二台しかなかった電子楽器だそうで、昭和32年の「東京午前三時」から録音に使い始めたそうです。ジャズのビッグバンド編成にハワイアンを混ぜて、シンセで隠し味を付けています。

 

「東京ナイト・クラブ」は、「グッド・ナイト」と同様にジャズのビッグバンド編成なんですが、こちらはラテンの味わいで彩っています。

 

両曲とも、とてもみずみずしく、鮮烈です。後年録音されたものとは違います。

 

そして、松尾和子の歌唱法も後年のものとは違います。

 

「その10」へ続く→

音楽

Posted by hirooka