変貌するミューズ 歌手・松尾和子の伝記その10/デビュー当時の歌唱法とナイトクラブの歌い方

2018年5月30日

松尾和子の歌手としての伝記を記しています。最初から読む方はこちら→

 

昭和30年代の松尾和子は、糸を引くようなレガートで、ひっそりと奥ゆかしく、話しかけるように歌っていました。後年のネットリとしたセクシーな歌唱とは違いますが、とても完成度の高い優れた歌唱です。これは昔の女性ジャズ歌手の歌い方であると共に、ナイトクラブの歌い方をブレンドしたのだと思われます。

出典を失念したんですが、確かBSの番組でマヒナスターズの松平直樹が、当時のナイトクラブでの歌い方を説明していました。

 

ナイトクラブというのは、お客さんは男女でやってきます。夜の女性たちが出勤前や出勤後にお客さんを連れてやってくることも多かった、と。で、踊りながら口説いたり口説かれたりするわけです。そのため音楽は、ムードがありながら、あんまりウルサかったりクドかったりするといけないそうです。なんとなく聞こえてるんだけど、よく聞くとしっかり歌っている、という歌い方が求められたようです。

 

ですから、その当時の松尾和子の歌唱には、ある種文化人類学的な美しさがあります。文化の要請に歌で応えている、というか。

 

が、繰り返しになりますが、当時の松尾和子の歌唱を聴くのが難しいんですね。

 

昭和30年代の松尾和子の歌唱を堪能するには、本稿「その9」で紹介した松尾和子の全集も良いんですが、ちょっと高いので、ここでは映画をご紹介します。1961年=昭和36年に作られた『東京の夜は泣いている』という歌謡メロドラマがありまして、この映画で当時の松尾和子の歌唱を存分に聴くことができます。

 

この映画、映画としちゃ全然面白くないです(笑)なんかヘンな話で、松尾和子も活かされてないし。

 

が、最大の見所は、松尾和子がデビュー当時の歌唱法で「誰よりも君を愛す」他数曲をフルコーラスで歌ってるとこです。ナイトクラブのセットをバックに。それだけで十分価値あります。

 

それと、松尾和子のダンナさんだった大野喬が自身のバンド、というかおそらく二人のバンドだったナイト・シックス(6人の騎士)を率いて出演しています。こーれは珍しいです。たぶん他では見ることができないです。私は大野喬の映像を、この映画以外で見たことありません。上記のYOUTUBE動画でコンガを叩いているのが大野喬です。

 

大野喬は、松尾和子が東京に出てきて最初に入ったバンド「宮間利之とニューハード」でドラムを叩いていました。19歳でした。松尾和子16歳の出会いです。

 

そして恋に落ち、一緒に青春を過ごし、同じバンドを渡り歩き、結婚します。デビューの前年、1958年=昭和33年です。

 

で、1966年=昭和41年に離婚します。

 

結婚とか離婚とか、私生活のことに興味があるわけではなく、この離婚で松尾和子は、16歳から32歳まで、音楽の世界に入った時から共にあった、非常に濃厚な関係の戦友というか、仲間を失うわけです。音楽への理解を共有し深める戦友、自分の歌に忌憚なく意見してくれる仲間を失ったわけです。

 

これが、昭和50年以降に響いてくる、と私は思います。

 

昭和30年代、40年代中盤までの松尾和子は、何を歌ってもある水準以上の歌を聞かせてくれます。全集なんかを通して聞くと。

 

一方、それ以降になると、過去の自身のヒット曲はとても良いんですが、その他の歌がダメになります。なんか、楽曲への理解が間違ってるというか、バランスに欠けたような歌になります。

 

なんでそうなるのかがどーも不思議なんですが、昭和40年代から、松尾和子は歌い方を変えています。その際、それ以前の理解ではなく、あたらしい歌い方にマッチした以前とは別の楽曲への理解が必要になったんだと思います。

 

しかし、おそらく歌への批評や理解をご自身で行っていなかったため、あたらしい歌い方による表現が十分深まらなかったのではないか、と。これ、以前記した青江三奈や江利チエミにも同じことを感じるんですが。

バランスに神は宿る〜歌手・江利チエミの研究序説

史上最高の歌謡歌手・青江三奈の研究 序説

 

そうすると、歌への批評や理解を一緒に行ってくれる近しい人というかブレーンというかの不在、例えば大野喬の不在も理由の一つなのではないか、と。そんなことを思いました。

 

さて、糸を引くようなレガートで、ひっそりと奥ゆかしく、話しかけるように歌っていた松尾和子ですが、昭和40年代から変貌を遂げます。

 

「その11」へ続く→

音楽

Posted by hirooka