変貌するミューズ 歌手・松尾和子の伝記その2/生地とお父さんと母方の音楽の血

2018年6月25日

松尾和子の歌手としての伝記を記しています。最初から読む方はこちら→

 

松尾和子は、昭和34年に24歳でデビューした女性歌手です。

 

 

主に下記のヒット曲があり、昭和30年代中盤に一世を風靡し、「ムード歌謡の女王」と讃えられました。

 

・グッドナイト

・東京ナイトクラブ

・誰よりも君を愛す

・銀座ブルース

・再会

・お座敷小唄

 

生年は1935年(昭和10)で、東京の蒲田生まれ、別のソースによっては満州生まれと記されています。で、箱根育ちです。

 

この「箱根育ち」ってのがなんか不思議で、私のような神奈川県の人間にとっては、箱根というのは遠足で行く場所・避暑地・観光地で、別荘や観光業以外の方が住んでいるとは、あまり思えない場所だからです。

 

調べてみたところ、お父さんの事情でした。

 

松尾和子のお父さんは宗次郎という人で、1934年(昭和9)に建築家として松田軍平事務所に入所しました。

 

松田軍平というのは、1923年(大正12)に米国コーネル大学建築学科を卒業し、三井本館や旧JR第一庁舎等を設計した建築家です。戦後、日本の建築関係の要職を歴任しています。彼の創立した会社は、現在でも「株式会社松田平田設計」として存立しています。

 

で、宗次郎さん、門司の三井物産支店や新潟の公会堂などを手がけて、入所後3年目の1937年(昭和12)に松田軍平事務所の満州事務所所長として満州に赴任しました。

 

いま「満州国」というと、日本の植民地で傀儡国家ということからあんまりよくないイメージですが、当時の日本の事業者から見れば「希望の大地」「未来を切り拓いて売上を拡大させる場所」というようなイメージだったでしょうから、そこの事務所の所長として赴任するということは、かなり有能で、社内の期待があったんでしょうね。

 

松尾和子は1935年(昭和10)に生まれてますので、そんなわけで生地が蒲田だったり満州だったりしたのでしょう。

 

しかし、宗次郎さんは結核を発症したため帰国せざるを得ず、静養のために最初は鎌倉、その後箱根に移りますが、1944年(昭和19)に亡くなります。

 

建築家として入所3年目で満州事務所長になっちゃうほど有能で前途有望のお父さんが、当時治療薬がなく不治の病だった結核を患い、昭和19年、つまり敗戦の1年前の大変な時期に亡くなっちゃったわけですから、家族の悲しみと混乱は大変なもんだったでしょう。

 

さらに箱根で火事にあい、満州から持ってきた毛皮や宝石は全てなくなり、家も焼けてしまったため、大変な苦労をしたそうです。

 

こりゃ、もう、大変です。

 

宗次郎さんが亡くなった後に残されたのは、母と姉二人と妹(松尾和子)の4人です。

 

しかも宗次郎さんは九州出身で、母は北海道出身なので、親戚も近くにはいなかったでしょう。

 

ちなみに、週刊実話の昭和35年6月30日号に松岡和子のインタビューが掲載されているんですが、それによれば、父方は堅気ばかりだが、母方は芸能関係者が多く、作曲家の宍戸睦郎は母の弟だと記されています。洗足学園大学名誉教授でクラシック系の現代音楽作曲家として活躍された方です。ちょっと驚きました。近親で2人も著名な音楽家を生むというのは、やっぱり音楽の才能を持つ血ってのがあるんですかね。

 

で、宍戸睦郎の奥さんだった(のちに離婚)のが、日本人として初めてジュネーヴ国際音楽コンクール・ロン=ティボー国際コンクール・ショパン国際ピアノコンクールに入賞して「東洋の奇跡」と讃えられたピアニストの田中希代子です。

 

昭和45年に膠原病のため演奏活動を引退してしまったので、我々以降の世代にとってはあまり有名ではありませんが、当時はとても著名だった方です。小澤征爾や中村紘子より前に存在した世界的なクラシックの音楽家です。

 

その田中希代子が、そんなに歌が好きなら、良い先生や良い学校(上野の音楽学校=芸大?上野学園?)に世話してあげよう、と言うのを断ったそうです(゚ロ゚)ま、松尾和子にしてみれば、専門が違うっていうことでしょうし、何より学校が嫌いだったそうです(笑)

 

さて、父・宗次郎さんの上司というか、社長だった松田軍平が色々と面倒見てくれたようです。「オレが満州に行かせたのが悪かった」と言って。が、日本中が大変な思いをしてる時ですから、松田軍平自身も会社も大変でしょうから、現在のように充分なことは出来なかったでしょう。

 

というわけで、母と上の姉妹2人、つまり松尾和子以外の家族は箱根富士屋ホテルに働きに出ます。

 

箱根富士屋ホテルというのは今も存在しており、我々でも泊まることができますが、ここで言う箱根富士屋ホテルは別のものです。

 

いや、名称も場所も建物も同じなんですが、ここらへんが高度成長期以降に育った人間にはパッと理解できず、面白いですね。

 

「その3」へ続く→

音楽

Posted by hirooka