ある明治人の伝記その9(最終回)〜井上篤太郎/退職金の半分を故郷へ

2018年1月26日

厚木市 上三田出身で、京王電鉄を経営して業績を上げ、晩年は貴族院議員を務めた井上篤太郎さんの伝記その9です。最初から読む方はこちらから→

 

さて、京王電鉄が大東急に合併されたのは昭和19年です。昭和20年に戦争が終わり、昭和21年に貴族院議員に任じられます。

 

この最晩年、篤太郎さんは厚木の生地に帰って暮らしたそうです。

 

で、「その1」に記したように、退職金の半分を故郷のために使います。

 

もともと教育に熱心だった人のようで、実業界で活躍している時も、母校である明治大学の財政逼迫を専務理事の任について支援し、その再興をしています。

 

また、神奈川県学生協会の会長を務め、神奈川県出身の後進の誘導に努めています。

 

さらに、昭和12年には私財を投じて(財)湘山会を設立し、故郷・神奈川県愛甲郡内の教育会、青少年団、国防協会等々への助成や功績表彰等の事業を営んでいます。「湘山」というのは篤太郎さんの号です。

 

この(財)湘山会の設立に、京王電鉄の社長を退いた際の退職金をあてています。

 

それだけではなく、故郷厚木の三田に才戸橋を建設し、道路を改修し、三田小学校の校舎を新築にも退職金をあてました。

 

退職金の半分を故郷のために使っています。

 

そのうえ、退職金の15%を京王電鉄の従業員に分けています。

 

つまり、篤太郎さんがもらった退職金の65%は人のために使っているわけです。

 

さらに昭和22年、戦後の大混乱で貨幣価値が暴落して大変な時ですが、わずかばかり残った資産である厚木市荻野の山林も荻野村小学校に寄付したそうです。

 

なんすかねー。

 

こーゆー偉い人ってのは、どうやって出来上がるんですかねー。

 

一つは、やっぱ「明治人」だってことですかね。

 

「公(おおやけ)」というか、publicというか、そーゆーものに奉仕するんだという精神にあふれてますね。そこんとこを、我々は第二次世界大戦で失いましたから、なんか別の世界の人の話のようですね。

 

で、数々行った善行や寄付を一切誇らない篤太郎さんですが、自分が死んだら追悼集のようなものを出して欲しいと願っていたそうです。

 

井上篤太郎という人間が生きていた、そしてこんなことをした、ということを少しでも伝えてほしい、と。

 

そんなわけで、私が、篤太郎さんが造ってくれた木造の三田小学校に通ったことがある私が、篤太郎さんの思い出を代読してインターネットに記載しました。

 

なお、情報のネタはすべて下記の本です。興味のある方はどうぞ。いつも売ってる本ではないので、売ってるのを見た時に多少高くても買っておいた方がよいでしょう。

日常

Posted by hirooka