厚木市 上三田出身で、京王電鉄を経営して業績を上げ、晩年は貴族院議員を務めた井上篤太郎さんの伝記その2です。最初から読む方はこちらから→

 

篤太郎さんの経営下、順調に業績を伸ばしてきた京王電鉄ですが、昭和に入って恐慌が起こります。

 

昭和恐慌」と呼ばれる深刻もので、一回だけでなく、何回かにわかれて発生し、世界的な恐慌も発生しました。そのため、日本経済は危機的状況に陥ります。

 

この昭和恐慌から起こった経済の混乱が、太平洋戦争へと至る動乱の大きな要因なわけで、日本は不安定で混乱した時期を迎えます。

 

篤太郎さんと京王電鉄もこれに無関係ではいられません。

 

京王電鉄は、大正4年に18%の配当を行いましたが、昭和7年には7%まで配当が低下します。

 

ただ、7%もかなり高いように思いますけどね。当時の状況がわからないのでハッキリとは言えませんが、2017年12月現在、東証一部二部上場の企業で7%も配当を出している会社はありません。ま、色々当時とは違う条件があるんでしょうが。

 

そんな中、昭和11年、二・二六事件の起こった年、老齢のため京王電鉄の社長を引退し、取締役会長に就任します。78歳です。

 

昭和12年に盧溝橋事件が発生し、日本は、いわゆる支那事変の泥沼に入り込みます。国内では、非常時体制が強制され、「陸上交通事業調整法」の成立により、鉄道業界は再編を迫られます。

 

日本は、支那事変が泥沼化して解決のメドが立たず、米国を奇襲して第二次世界大戦に参加したわけですが、戦局が悪化すると日常生活だけでなく経済界への統制も強化されます。

 

昭和17年に電力統制によって電力事業が分離されてしまいます。当時、電鉄会社は電力も販売しており、大きな収益を上げていました。大きな収益源を失うことにより、京王電鉄の収益は悪化します。

 

そのためもあり、昭和19年には電鉄事業も譲渡されます。東京急行電鉄(東急)への合併です。いわゆる「大東急」の時代ですね。現在の小田急、京急、相鉄、江ノ電、静鉄、そして京王電鉄は、みーんな五島慶太率いる東急傘下だったんですね。

 

篤太郎さん、86歳です。

 

ただ、篤太郎さんは東急の相談役に迎えられます。また、『井上篤太郎翁』の扉には、五島慶太による「私鉄界の先駆者」という揮毫が掲載されています。

 

篤太郎さん自身、統制経済下における交通統制の必要を論じた著書を率先して発表していたほどなので、真っ向から反対というわけではなかったのでしょうが、何らかの悲劇的心情は匂わされています。

 

つまり、この辺りの事情がハッキリ記されてないんです。『井上篤太郎翁』には。おそらく五島慶太も存命で、GHQによる追放を解除されてバリバリやってる頃に本書が発刊されたので、遠慮したんでしょう。

 

こうして、30年に渡る篤太郎さんの京王電鉄での日々が終わります。篤太郎さんは86歳になっていました。

 

続く→