黒澤明と大河内傳次郎の『虎の尾を踏む男たち』と才能の邂逅

黒澤明の映画に『虎の尾を踏む男たち』という作品があります。1945年=昭和20年に作られたんですが、終戦直後のゴタゴタで公開が1952年=昭和27年になっちゃった作品です。

 

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黒澤明の作品の中では「不運な小品」みたいに捉えられていて、あまり言及されることはありません。

 

ただ、これ見ると「映画って才能だけで作れんだなぁ」と感銘を受けます。

 

というのは、この作品、昭和20年8月前後に作られてます。第二次世界大戦における日本の敗戦前後です。つまり、物資が窮乏してなーんにもない時です。

 

昭和20年8月には、日本海軍の戦艦でさえ、まともに動くのはたった1隻だったそうです。戦争をしているにも関わらず(T_T)っていう位、日本の生産能力を超えた愚かな戦争を自分から仕掛けて、日本中に何にもなくなった時です。

 

セットも組めず、小道具も充分に集められないので、世田谷の砧スタジオの裏山で作れる作品でも作るか、となって作ったのが『虎の尾を踏む男たち』です。フィルムも充分にないので、1時間弱の小品です。

 

セットも小道具もフィルムも充分にはありませんが、才能だけはあります。

 

監督は黒澤明です。撮影当時は期待の若手という位置づけだったでしょうが、後年は世界中の映画学校で必ず取り上げられるような数々の名作を作り、映画の歴史における偉大な存在になりました。

 

主役は大河内傳次郎です。丹下左膳役で一世を風靡した大スターです。

 

もう一方の主役はエノケン・榎本健一です。戦前戦後に活躍した日本の喜劇王です。

 

黒澤明は、1943年=昭和18年に『姿三四郎』の大ヒットでデビューしますが、第二次世界大戦が激しくなり、同時に検閲が厳しくなる時勢のため、本来作りたい映画を縦横に作ることができません。

 

『虎の尾を踏む男たち』も、歌舞伎の『勧進帳』を下書きにしたもので、おそらく戦前の検閲への配慮があったのだと思います。

 

ところが、昭和20年8月の敗戦で世の中が変わっちゃって、黒澤明のインタビューによると、今度は連合軍(GHQ)に制作している作品の届け出をしなけばならなかったのに、そこを会社側が忘れていたのが、ミスしたのか、あるいはある本によるとGHQが公開に同意しなかったとか何とか、そんなこんなで公開が1952年=昭和27年になっちゃったそうです。

 

昭和27年と言いますと、かなり日本の復興も進んだ頃で、黒澤明自身も『酔いどれ天使』『羅生門』を経て『生きる』を公開した年ですから、『虎の尾を踏む男たち』のようなプリミティブな作品が一般ウケする時節ではなかったんでしょうね。終戦直後に公開されたならまだしも。

 

この映画見ますと、もう一つ、

 

「大河内傳次郎ってのは千両役者なんだなぁ」

 

と感嘆します。

カメラが大河内を写して、大河内が妙な、しかしどこか伝統にのっとったような、ある種の美しいエロキューションで何か喋っているだけで、画面が成立すると言いますか、間が持つと言いますか、見ている者を引きつけると言いますか。

 

その大河内傳次郎、初期の黒澤作品に主軸俳優として名を連ねて重厚な演技で画面に深みを与えるんですが、戦後すぐに起こった東宝争議で会社を離れ、新東宝に参加してしまいます。

 

つまり、新進気鋭の映画監督・黒澤明は、自分の映画を構成していた重要な才能を失います。

 

しかし、それが、新しい才能そして世界に通じた才能→志村喬・三船敏郎を見いだして重用するキッカケだったと思うんですが、人生ってのは面白いもんですな。

 

そんなこんなでお薦めです『虎の尾を踏む男たち』。1時間弱なので、サクッとなんか見たい時に。

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