黒澤明はなぜすんごく面白い映画とつまんない映画を作れるのか?橋本忍の名著にその答えがあった話~お薦めの電子書籍

「黒澤明は、なぜすんごく面白い映画とつまんない映画を作れるんだろう?」

 

というのが昔っから不思議でした。30年くらい前からね。

 

例えば小津安二郎にもつまんない作品はありますが、そんなに多くはありません。黒澤明は、アーティストだからなのかなぁ、と思っていました。

 

小津安二郎は、どちらかというと職人芸なので、映画の内容で実験や冒険するとしても、ご自身で出来上がりを見積もるため、ある範囲に収まる、と。一方、黒澤明は芸術家で、表現したいことを優先するため、失敗した場合、それがある範囲に収まらないのかな、と。

 

そんなこと思ってたんですが、橋本忍の著書を読んで具体的な理由がやっとわかりました。

 

脚本の失敗です。

 

橋本忍、先々月(2018年7月)に100歳で亡くなりました。日本映画史上最大の脚本家です。が、その脚本に比べて著作がとても少ないんです。『橋本忍 人とシナリオ』という1994年にシナリオ作家協会から出版された橋本忍の偉業を総括したような素晴らしい本があるんですが、それも絶版でなかなか手に入りません。以前はAmazonでもプレミア価格で売ってたんですが、いまはもう売っていません。

 

たぶん昔の人なので専門外のことにプロとしてはあまり手を出さないということなんでしょうが、その橋本忍が、1980年代以来、体調不良で事実上の引退状態となっていたにも関わらず、2006年に『複眼の映像 私と黒澤明』という本を著しました。

 

よくぞ書いてくれた、と。もう、ほんと名著。映画好きはみんな読むべき。いつの間にか電子書籍にもなってて、すごく便利。

 

 

黒澤明から見たら反論もあるでしょうが、あの橋本忍の忌憚ない意見と黒澤明との仕事の思い出、大脚本家・橋本忍の自伝、脚本制作のノウハウ等々を読むことができて、心の底から興味深い。もはや、ありがたい。

 

橋本忍は、脚本家として、またキャリア後半では、自身の映画制作会社である「橋本プロダクション」を設立して、プロデューサー・ヒットメーカーとして、数々の名作・話題作を生み出しました。『砂の器』とか『八甲田山』とか。

 

『八甲田山』が公開された頃は、私も中学生になった頃でリアルタイムに公開を見ましたが、一世を風靡するような、大変な話題作でした。

 

橋本忍は、戦前の映画監督で名脚本家・伊丹万作の唯一の脚本家としての弟子であり、黒澤明の「羅生門」の脚本初稿を作り、共同脚本でデビューしました。

 

つまり、デビュー作でベネチア国際映画祭グランプリを獲得したわけです。シンデレラ・ボーイですね。

 

橋本忍は黒澤明に見いだされた人という形でデビューしており、橋本にとって黒澤は師匠筋なんですね。知りませんでした。

 

ついでですが、伊丹万作というのは、昭和12年、PCL研究所とJ.O.スタヂオが合併して東宝映画が設立された時に移籍してきたので、東宝における黒澤明の先輩です。

 

伊丹万作が東宝から去った後、昭和16年に黒澤明は『達磨寺のドイツ人』というシナリオを発表します。黒澤明がデビュー作として準備していたものとも言われてますが、映画化されることはありませんでした。当時は検閲が激しくて、何本も検閲で却下されたとインタビューで語ってますから、その内の一本なのでしょう。

 

この『達磨寺のドイツ人』が『映画評論』に掲載されて、それを読んだ伊丹万作が、

 

「この人は、将来の日本映画をしょって立つ逸材である」

 

と激賞した有名な話がありまして「バンサクすげーなー」と半ば伝説になっています。

 

つまり、監督昇進前の無名の助監督の脚本を一読しただけでその後の世界的映画監督・黒澤明を見いだしている、という意味でスゴイ、と言うわけですが、伊丹万作も東宝時代に助監督・黒澤明を知ってたんでしょうね。同僚たちから噂も聞いていたでしょうし。

 

当時の、合併で設立されたばかりの若い若い東宝には溝口健二、成瀬巳喜男、山中貞雄、島津保次郎、山本嘉次郎のような一流監督が揃っていて、スタジオの前で車座になって討論したりしていたそうです。黒澤明のインタビューによれば。

 

さて、その伊丹万作の唯一の脚本の弟子である橋本忍は、伊丹万作が激賞した黒澤明と『羅生門』の共同脚本でデビューし、以降、黒澤明作品2本の先行脚本と共同脚本を書きます。『生きる』『七人の侍』です。

 

驚きますね。

 

デビューから黒澤明と一緒に作った脚本3本が『羅生門』『生きる』『七人の侍』ですよ。世界映画史に残る3本です。

 

この3本に共通するのは、橋本忍が前もって先行脚本を書いていることです。それを基に『羅生門』は黒澤明と、『生きる』と『七人の侍』は小国英雄と黒澤明と共同脚本を制作します。この手間ヒマが、作品の質をもの凄く上げたんですね。

 

特に、先行脚本を書くのが、後年日本映画史上最大の脚本家になる若き日の橋本忍ですから。

 

本書には、『生きる』と『七人の侍』の共同脚本を書く様子が、ドラマチックに記されていて、とても興味深く、面白いです。さすがに橋本先生、血が騒いじゃって、ドラマチックになっちゃった(笑)、というか。

 

『七人の侍』は、当初まったく別の企画で、ある侍が朝起きて、登城してお勤めをするが、夕刻にミスを犯し、屋敷へ帰って切腹する、『侍の一日』という映画を作ろうとしていたそうです。

 

しかし、橋本忍と東宝の文芸部員が手分けして懸命に調べても、当時は侍の一日が克明にわかる充分な資料がなかった、と。つまり、江戸時代の侍は一日二食だったのか三食だったのか、登城して天守閣の中で仕事をしたのか、別のところで仕事をしたのかも判然としない、と。そういうことで、3ヶ月も時間をかけながらも打ち切りにします。

 

次に、剣豪のオムニバス『日本剣豪列伝』を作ろう、となります。そこで橋本忍は2週間で半ペラ297枚の先行脚本を書きますが、それを黒澤明と一緒に読んだ結果、オムニバスでは起承転結が作れず、頭から終わりまでクライマックスになってしまうので、方法論として間違いだとわかります。

 

最終的に、

 

「武者修行って、なんだろう?昔の兵法者はどうして全国を旅して回れたのだろう?」

 

という黒澤明の疑問を調べたところ、百姓が侍を雇ったという故事がわかり、『七人の侍』の企画がスタートします。

 

つまり、『七人の侍』には、打ち切りにした二作のエッセンスが詰まってるわけですね。

 

そして、熱海の旅館に黒澤明、小国英雄とこもり、3ヶ月ほどかけてやっと『七人の侍』決定稿を書き上げます。

 

家に帰ろうと熱海から国鉄の二等車に乗った橋本忍は、とても疲れていたのに、なぜかひどく生気が溢れてくるのを感じ、力強くこう思います。

 

「これからの自分には、どんなものでも書ける」

 

苦闘を通して成長した人間の高らかな賛歌ですね。

 

しかし同時に、恐怖を感じます。

 

「だけど、何を書いても『七人の侍』を超えることが出来ないのではないか?」

 

なんか、素晴らしいですね。なんていうか、橋本忍にしか描けないリアリティある言葉です。

 

そして『七人の侍』は、日本映画始まって以来という大当たりになり、世界に紹介されて世界映画史上の名作にも数えられます。

 

さて、『七人の侍』を書き終えた頃には橋本忍もだんだん売れっ子になってきていたので、ご本人は映画3本分の労力がかかるのに1本分のギャラしか入らない黒澤明作品はもう卒業したいという意向を持っていました。

 

しかし、橋本忍に続けて参加してほしい黒澤明が新しく採用した方式が「いきなり決定稿」です。若いライターが先行して書くのではなく、最初から脚本家がみんな集まって原稿を作る、という方式です。

 

そして制作されたのが『生きものの記録』です。

 

あぁ、そうだったのかぁぁぁ、と。

 

『生きものの記録』失敗作ですね。面白くありません。公開当時も、記録的な不入りだったそうです。『七人の侍』で日本映画始まって以来の大当たりをとったチームの次作でありながら。

 

『生きものの記録』のつまんない感じは、いや、ある種の面白さはありますし、黒澤明の並外れた造形力で見せることは見せますけどね、ついでに3台のカメラで同時に撮影するマルチカム手法を本格的に導入した最初の作品なわけですが、どーにもこーにも話がつまんないのは、脚本の作り方の変更に理由があったのか、と。

 

ここら辺がですね、我々のような一ファンにはわからなかったとこです。というより、本書によれば、プロデューサーにも東宝の首脳部にもわかっていなかっただろう、と。だから、黒澤映画の停滞はその後数年続きますが、東宝も手を打てなかったそうです。理由がわからないので。ご本人たち以外に世間にはまったくわからなかったでしょうね。

 

ライター先行型の共同脚本は、黒澤明の戦後第一作『わが青春に悔いなし』から『七人の侍』まで続いたそうです。

 

で、『生きものの記録』から「いきなり決定稿」方式になり、黒澤映画も停滞します。「いきなり決定稿」方式の脚本が素晴らしい光を放つのは、6年後の『用心棒』まで待たなければなりません。

 

そう言われますと、確かに黒澤明の作品群は、脚本家という視点から見るとクッキリと浮かび上がるような気がします。

 

一つは、ある脚本方式で試行錯誤した結果、非常に優秀な、世界の映画史上に残るような作品が出来上がり、その方式を乗り越えようと別の方式を採用するのが黒澤明だということですね。それによって、多種多様な物語を作品に出来た、と。

 

もう一つは、黒澤作品の物語の体臭というか、肌触りというか、深い味わいというか、そーゆーものは共同脚本家達によって、あるいは黒澤明が共同脚本家達と苦闘することによって肉付けされたものだったんだな、と。

 

黒澤明は、単独脚本の『姿三四郎』でデビューします。先述のように、検閲のために作りたいものを作れない中で作った、素晴らしい青春活劇です。

 

そこから数作単独脚本の作品を制作しますが、おそらく単独脚本の限界を感じたんでしょう。

 

誤解の無いように付け加えますが、黒澤明は、監督デビュー前から非常に優れた脚本家です。先述のように伊丹万作は激賞していますし、若き頃に恋に落ちて引き離された高峰秀子は、若き日の黒澤明への東宝撮影所内の嘱望や、時間を惜しんで旅館の物置みたいな部屋でさえ脚本を執筆している様子を名エッセー『わたしの渡世日記』で描写しています。

 

ですが、黒澤明自身は単独脚本に、何か飽き足らなかったんでしょうね。

 

黒澤明が単独脚本で映画を作ったのは、デビュー作の『姿三四郎』から終戦時の『虎の尾を踏む男たち』までと、最晩年の『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』です。また、『影武者』『乱』も実質的には単独脚本だと思われます。

※『乱』の脚本家として小国英雄の記載はあるが、本書によれば、小国英雄は黒澤と衝突して途中で降りている。『影武者』『乱』の共同脚本として井手雅人の名があるが、同書によれば、井出は黒澤を制御するタイプではないし、同2作は、以前とは違い、人物の造形を彫り込むのではなく、黒澤自身が主人公の気持ちを忖度してイメージを膨らませる方式に変更されたようだ。

 

その作品群と、他の作品群を比べてみると、単独脚本の作品群には、物語の体臭というか、肌触りというか、深い味わいというか、そーゆーものがちょっと欠けているように感じられます。

 

つまり、『酔いどれ天使』や『野良犬』や『生きる』や『七人の侍』や『用心棒』における体臭というか、肌触りというか、深い味わいというか、そーゆーものが。

 

それは、造形力とか時代背景とか、そーゆーものではなく、共同脚本家達によって、あるいは黒澤明が共同脚本家達と苦闘することによって初めて得られたものだったんだな、と思いました。

 

というわけで、繰り返しになりますが、橋本先生よくぞ書いてくれた、と。ほ〜んと名著。映画好きはみんな読むべき。なんか、もう、長年の疑問が解けてうれしー。